2024年01月12日
☆ いつもの日常による気持ち ☆
今回のタイトルが 何を意味しているのか
と
言いますと
例えば、
夫婦の間で
親子の間で
家族の間で など
誰に言われた でもなく ごく自然と誰々が率先して
「おはよう」のあいさつをしてくれていて
誰々からあいさつが始まっていることが ごく普通となっていて
それがあたりまえのような状況になっている時
毎日のルーティンのように自然と習慣となっているわけですが
その習慣が、
風邪などによる体調不良などで 誰だれからのルーティンが崩れて
しまった時など
ほかの あるひとは、自分から朝のあいさつ おはよう と声を発することが
気恥ずかしい という気持ちから
無表情を装い
あはようのあいさつを自ら発しなかったことによって
家族の誰かから あなたは、朝からおはようのあいさつもすることが
できないの?
などと苦言を言われ
朝のさわやかな気分がおたがいに 台無しになってしまった
なぁーんて方も 時におられたりします
そのような時には、
気恥ずかしさの気持ちはわかりますが、どのような自分になりたいのか
の
決定権は自分にありますため 気恥ずかしさという我を張ることによって
ほんらい こうでありたい
という自分を放棄してしまうことは、もったいないことでもあります
最後までお読みくださりありがとうございました